35歳の少女 10話 最終話 感想
このドラマが好きな方には不快な内容になってしまうことを先にお伝えしておきますね。
来たぞ最終回。
前回の内容で、なんとなくみんな都合よく話がまとまって終わるんだろねって予想はしてたけどさ。
それにしてもさ。
いい方に捉えれば、
みんな勇気を出して一歩踏み出したことで、良い関係も良い結果も生まれるよっていうね。
多恵(鈴木保奈美)の死を通して、多恵の愛を知って、みんなが本当に大切なことに気付くっていうね。
しかし個人的に望美(柴咲コウ)の家族を通して、結人(坂口健太郎)を通して、望美の同級生の結婚式を通して、
最終的に受け取ったメッセージは、
”家族だから分かり合える”
”家族みんなで力を合わせればどんなことだって乗り越えていける”
”どんなことがあっても育ててくれた親に感謝の気持ちは忘れちゃいけない”
っていうことで。
すごく良いことのように描かれているけど、
いや、これはただの呪いだよ。
この呪いで散々苦しんでいる人達がたくさんいるよってことを、その呪いからは解き放たれていいよって、親を捨てていいよって、許さなくていいよって、伝えてくれる人が増えて、ここ何年かでやっとそんな風に思ってもいいんだって苦しかった子供時代を生きた人達が思える土台が出来てきたかもしれないと感じていた。
確かに家族は思い合っているはずなのにうまく嚙み合わないこともあるし、お互いに愛情があるのに伝えるのが下手で伝わらないこともある。
でも消えない事実もある。
これは本作のごく一部だが、望美の同級生の結婚式で司会をドタキャンさせてまで結婚式を阻止しようとする母親は、すでに子供を愛してはいない。自分のことしか考えていない。
そんな母親に感謝する必要はない。分かり合う必要はないのだ。
そして、そんな母親は望美の言った言葉なんかで変わりはしない。
「もっとケンカして下さい」レベルの出来事ではない。
同じように、25年頑張ったとて、目覚めた望美に多恵がした行動も、結人の両親が結人に長年見せていた姿も、同じことなのだ。
そういう安易な家族愛には断固としてNOと言いたい。
アナウンサーになる夢が叶った望美が街頭でインタビューしている場面で物語は終わる。こんなナレーションとともに。
もしかしたら私たちはみんな
いつか胸を張ってこう言えるのを願いながら
生きているのかもしれない
これが
私だ
そうだね。
みんなありのままの自分で自信をもって生きていけたら最高だ。
でもこのメッセージを素直には受け取れない。
そこに描かれていたのは自分を押し殺して親に迎合する子供の姿ばかりだったから。
と、長々と言ってしまったが、
きっとただ私の家族観や倫理観と作り手のそれが合わなかっただけだ。
もうそんな齟齬をさけるため、遊川作品には手を出さない。
そう固く決意した最終回でございました。
終わり。