35歳の少女 8話 感想
遊川和彦は、脚本家というよりもはや哲学者みたいなもんで、私達は遊川和彦の哲学をずーっと見せられているのだなあ。
と感じた8話。
人間というものは、どこまでいっても利己的で、弱く、あさましい生き物だと、何度も何度も執拗に思えるほどに描写を重ねる。
そうして、
だからこそ、
一人では到底愚かだからこそ、
人と人は繋がっていなければと、
真剣に向き合い続けなければと、
助け合い思い合わなければと。
そういうことなのかなと思う。
しかし…。
重過ぎる。
毎週観るには何もかもが重過ぎる。
どの登場人物の浅はかさも愚かさも、全て自分が内包しているものだと観ているうちにどんどん思い知らされて行くようで、
痛っ。
痛いよっっっ!!!
痛すぎるよ!!!!
ってなりおるわ。
ド正論かまされて何にも言えない人みたいになるわ。
さんざん望美(柴咲コウ)の純粋に人を思う気持ちを、夢に向かって進もうとする思いを、大人(になったつもりで実はただ色々な事を諦め続けているだけの人々)の目線で否定し続けた望美の家族や結人(坂口健太郎)は、現実を知り家族にも結人にも絶望して自分のためにだけ生きると決めてそれを実行している望美を次々に訪れては、勝手なことばかり言っている。
その身勝手な言い分は痛烈に観ている側に突き刺さる。
望美は孤独で、
望美は誰よりも助けを求めている。
けれどもみんな望美を責めるばっかりで、
誰もそれに気付かない。
最後に訪れた多恵(鈴木保奈美)は、望美と一緒に死のうとする。
きっとただ望美を抱きしめるだけで良かったのに…。
そして、なぜか倒れた多恵。
先の展開が正直全く分からない。
ここまでいくともうハッピーエンドにはならないような気がするし、
ここまでしんどい展開にして安易なハッピーエンドにされても納得も出来ないし、
もうどうなって欲しいのかもよく分からない。
しかし、最後まで観ようと思う。
どうあってもいいから、中途半端な終わり方だけにはならないことを願っている。