すききらい

主に連ドラたまに映画の感想(好き嫌い)を語るブログ。

Netflix「クィア・アイ in Japan!」

 

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連ドラの録画をしこたま溜めて、ろくに感想も書かずに何をしているかといえば、朝ドラ「スカーレット」を観るか、このNetflixの人気コンテンツ「クィア・アイ」をシーズン1からひたすら観ているのであります。子供が寝たあとの限られた時間の中、秋ドラマでも映画でもなくクィア・アイです。そう、ハマっております。未見の方に簡単に紹介すると、どこかのワイドショーでやっていた「亭主改造計画」のアメリカバージョンであります。違いは、対象は老若男女で既婚者も独身者もいるし、異性愛者も同性愛者もいること、改造を担当するのが通称ファブファイブという5人で、その5人は全員ゲイということ。

メンバーをざっくり紹介すると、画像の向かって1番右がファッション担当のタン、右から2番目がフード&ワイン担当のアントニ、水原希子を飛ばして右から3番目が美容担当のジョナサン、ジョナサンの隣りが文化担当のカラモ、1番左がデザイン担当のボビーである。とにかく全員キャラが濃い。そして各分野でそれぞれがとてつもなくプロフェッショナルなのである。毎回驚くべき変貌を遂げる対象者だが、ファブファイブが1番変化を起こすのは、見た目ではなく対象者の“心”なのだ。そして、それが如実に表れていたのが、最新作「クィア・アイ in Japan!」なのである。

どの国に生きる人々も、それぞれに悩みを抱え、自信がなく、日々葛藤しながら生きていることに変わりはないと思う。しかし欧米人は何というか基本的で最低限の『自分はこの世に存在していていい』という感覚はみな持ち合わせている気がするのだ。自分の存在は認めた上で、うまくいかない人生に四苦八苦していて、なのでストレートに見た目やインテリアや物事が上手くいく方法なんかを身につけて、それで自信を回復していったりポジティブになれることも多いのだ。しかしin Japanに出てくる対象者の日本人は全く違う。最低限すらないのだ。自分がこの世に存在していることにさえまるで罪悪感を抱いているようで、見ていて本当に辛くなってしまう。それはきっと日本の謙遜の文化であるとか、空気を読むという独特の世間の圧力であるとか、長い間家父長制度であったこととか、色んな要素が影響しているのだろうし、この「存在自体が心許ない」という感覚は自分自身にも覚えがあり全く他人事なんかじゃないのである。そんな本当に生きているのが辛そうな4人の対象者達をファブファイブは優しく包み込む。彼らの何回もの心からのハグ、真剣な眼差しで話を聞いてくれる姿、あなたはそのままで素敵だよってありのままを認めてくれること、自分らしさを表現することの素晴らしさを少しずつ伝えてくれる言葉達。そんな風にファブファイブが全肯定してくれる中で少しずつ自信が生まれ(取り戻すではなくて生まれるのだ)、その上でファッションやヘアメイクやインテリアや料理が、更なる自信を生み出して、対象者が文字通り“生まれ変わる”瞬間を映し出している。多少の演出はあるだろう。演技的な部分もあるかもしれない。それでも、キラキラと輝き出すin Japanの対象者4人に惜しみない拍手を送りたいと思う。勇気を出して踏み出した新しい一歩をいつまでも応援したい。そして、自分自身も少し勇気を出そうと思えるのだ。何かとバッシングを受ける水原希子や、個性的なビジュアルの渡辺直美が出演することで番組全体の説得力も増して、この2人のスタイリッシュさとファブファイブのそれがマッチして、もうあらゆる角度から最高なのだ。

個人的に1番グッときたのは、エピソード4の誠人がファブファイブに勇気を貰って切実な自分の不安を妻に打ち明けるシーンだ。打ち明けたあとの誠人の姿を思い出して今でも泣きそうになる。

Netflixを観ることが出来る人はぜひ観てみて下さい。きっとライトにもヘビーにも観ている人達の心に、日本人に、響く番組だと思うのですよ。