ごっこ遊び
ちっさい人のごっこ遊びに付き合うのがそろそろしんどい。
おままごとはまだいい。いつも大体お父さん役を割り当てられ、ちっさい人がおねえさん。なぜかお母さん役はいない。おねえさんに作ってもらったご飯を食べたり、突然繰り広げられるおねえさんワンマンコンサートに声援と拍手を送ったりしながら適当な頃合いを見て「じゃあお父さんそろそろ仕事に行ってくるね〜」と言っておもちゃ部屋を離れて一息ついたりしてやり過ごす。
しかし動物ごっこやロボットごっこ辺りになると逃げ場がなくかなりしんどい。ちっさい人はとりあえず猫だの犬だのロボットだのになりきってしまうので「にゃーん」や「わん」や「わたしはロボットです。ピー」しか言わない。ひたらすらこっちがリアクションをしストーリー立てをし「猫ちゃんご飯食べたらお散歩行きますよー」「にゃーん」「あっ猫ちゃんウンチしたな〜」「にゃんにゃん!!」(おしっことかウンチとかのワードを入れるとやたら喜ぶ)みたいなやり取りをするのである。
ちっさい人はとにかくなりきることが楽しいようで、ストーリーにさして展開がなくても一向に構わないといった感じだ。なかなかやめてはくれない。
一度水族館ごっこで「お母さん亀になるね」と言って亀役をゲットしひたすら動かずじっとしている、何か求められても「亀だからじっとしています」と言う、で押し通してみた。もう二度と亀にはならせてもらえなかった。
みんなこの苦行をどう乗り切っているのだろうか。同年代の子がいる周囲に聞いてみるも、そもそもそんな遊びをしていないと言う。えー。ではどんな遊びをしているのだろう。うちのちっさい人はなぜあんなにも色んなものになりきりたくなってしまうのだろう。
こうなったら変えるのは自分の意識なのか。
北島マヤのように完璧に“猫の飼い主のエチュード”や“ロボットと一緒に暮らすエチュード”をやり遂げればいいのか。
そうだ、それこそなりきりだ。
北島マヤになりきれば、どんなにクソつまらないごっこ遊びだって天才的演技力と機転でもって楽しいひとときになり得るかもしれないじゃないか。
私は北島マヤ…。
私は北島マヤ…。
ここは筋書きのない舞台。
与えられたのは猫の飼い主という役の設定だけ。
全ては私次第。
さあ幕を開けて。
必ずやこの舞台を成功させてみせるわ…。
…あれ?
なんかいけそう。
私いけそうだ。
なんならすぐにでも実践したいくらいだ。
明日が待ち遠しいよ。
ありがとう北島マヤ。
まだ実践してないけど、きっとこれで乗り切れる。
乗り切れるはずだ、きっと…。