ビールを飲みながら

主に連ドラのこと、あと日々のこと、ビール片手に。

そろそろ夏も終わり、そして朝ドラのこと

空が高い。

朝の空気が冷たい。

秋の気配がしてきたよ。

早い!!

秋の気配早すぎるよ。

今年はほんとーーーーーーーに短い夏だな。

そんな短い夏にイベントを詰め込み過ぎて疲労困憊であるが、イベントも残りわずか、もう少しで通常の生活に戻る。

待ち遠しい。

ドラマの録画がこれでもかというほど溜まっている。

いつ観るんだこれ。

かろうじてほぼ夜中に一人時間を確保して録画再生してみるが、文字通り「半分、白目」だ、ね…眠すぎる。

15分なら時間がない中でもなんとか観れるということで、朝ドラだけは毎日その日のうちに観ています。

どんどんカオスになる主人公だが、表面上はいい話になっておりなんとも興味深い作品になっている。

端的に言うと「愚か者」を主人公にして朝ドラを作りきることに挑戦したのだろうか。

確かに朝ドラに限らず連ドラの主人公は、どんなに天然だろうが迂闊だろうが周り見えなくなろうが、どこか常識的な一線は超えずにみんなに愛され苦難を乗り越え…のような描写が多く、主人公を応援しつつも、どこか自分とは違う世界の人の物語として受け止めていた。

脚本家はそのアンチテーゼとして、こんな人間だって幸せになれるんだ、どんなにカオスな性格だって自分を貫けば受け入れてもらえるんだ、と言いたいのだろうか。

だとしたら狙いはいいのかもしれない。

先駆けとしては「逃げ恥」のみくりさんだろう、ガッキーの可愛さでかなり中和されていたがキャラクター的にはなかなかの人物設定だった。理詰めで物事を考え過ぎるし、柔軟性もあまりない、敬遠する人もそりゃいるだろうっていう。

だけれど、みくりさんはそんな自分を自覚しており生きづらさを感じていた。

それでも変えられない自分と葛藤して、そして最後にそんな自分を平匡さんが丸ごと受け入れてくれるという物語だった。平匡さんにも平匡さん自身の葛藤があり、脇の人物全てに葛藤があり人生があった。

その後に「カルテット」があり、やはり生きづらい人々の物語で、ダメな人達がダメなまま受け入れ合う優しい物語だった。

現朝ドラの脚本家さんもきっとそんな物語を作ってるつもりじゃなかろうか。

しかし実際にはかなりテイストの違う物語になってしまっている。

主人公の鈴愛はかなりの傍若無人ぶりを発揮し、我が身は一切振り返らず、ブルドーザーの如くバッタバッタと人の心をなぎ倒し、努力せず、一切の周りの状況を考えず、子育てすらしていなそうだ。

いや実際はそんな人物設定ではないのであろうが、そう見えてしまっている。

脇役達も全然その人物の人となりが見えないのである意味どーでもいい存在である。

もうどんな風にドラマを楽しめばいいのか分からないので、とりあえずいい話風エピソードを斜め45度の角度から面白がって観るしかない。

ダメ人間ならダメ人間なりの深みが欲しいのである。

主人公とその相手役だけではなく、色々な人物の人生の深みも感じたいのである。

残り少なくなってきているが、せっかく毎日観ているのだから最後には何か感じたい。

主役の永野芽郁、とっても好きな俳優さんなんだけどな〜。